怒られたくない

私は何かと「怒られたくない」で行動してきた。
過去にめちゃくちゃ怒られた人生だった、とかではない。

ふわっと、いつも考えていることがある。
それってとても自分の行動を制限している。
行動の範囲が狭まる。

一番身近なのが「ミスをすること」を許容されるかされないか。
1番目の職場では、上司と相性がよかったんだろう、
例え私が間違えても「ここが理解できていなかったんだね、ごめんね私もフォローしたらよかったよね」
とまるで自分に責任があるように言ってくれるのだ…。

「怒られたくない」私はミスをしたことで怖くなり焦っている。
ミスした理由と言い訳と怒られるかもという考えがが頭の中をぐるぐる巡る。

それをまるで見透かしているように優しい言葉をかけてくれた。
「心の中では怒っているかも…」と思っていたけど、
別のミスをしても一貫してその態度は変わらなかったので心の中はどうあれ、私の中でその優しさが真実になった。

私は
「ミスをしても指摘はされるけど怒られはしない、大丈夫だ。」
と仕事を前向きに出来るようになり、経験していくことに対してはあまり恐怖心が無くなり、
仕事仲間内でも優秀になっていった。
私が頑張れたのはその上司がいたからだった。



2つ目の職場ではそんな優しさを受けることはなかった。
「ミスはミス」。何故出来なかったかとかは重要ではない。
まだ出来ないことを許容はしてもらえてない。
質問すれば教えてくれるが、決して快い感じではない。
「忙しいんですけど?」そういう心の声が聞こえた気がした。
月日が経つ度「分かってないと怒られるかも…呆れられるかも…」
そう思って訊くことすら億劫になっていった。
(もちろん分からないことは聞きはする)


分かっていたけどここは私にとってブラックだ。
仕事を理解できる環境が整っていない。自分で学ぶにも限界がある。

しかし心の裏側ではこう思う。

・でも、他の会社もこんな感じなんだろうな…?
・前の職場がしっかり手取り足取り教えてくれたのが奇跡だったんだ…。
・「普通」ってこんなもんなんだ

納得しようとしたけど しきれなくて辞めてしまったけど。

自分に正直になるとこうも思う。

・教える体制がこんな感じなんて新人潰しだ
・その場に居るだけで朝から晩まで緊張感が続く
・ここにいるのがいやだ。

私は社会の普通には適応出来ないんだろうか。


1社目については私は学んだ。
「怒られたくない」という恐怖心のない状態なら
いっぱい間違えてどんどん前に進めるんじゃないか。

2社目ははっきり言って最悪だったけど、
「怒られたくない」がない環境には可能性が広がっているとそう思えた。

実際に私がその証明になった。
恐怖は妨げにしかならない。