アドリブと自己表現

私はアドリブソロが出来ない。

音楽に携わっている人は経験したことがあるかもしれない。
アドリブソロとは≒即興演奏のことだ。
決まった譜面もメロディない。
自分で考えて自由に演奏しろ、ということだ。
カラオケで全く知らない曲をかけ、その伴奏に合うように想像して歌ってみて。
大体そういうイメージだろう…。

団体の音楽活動してきたからこそ、色んな人のアドリブを聞いてきた。

率直な感想。アドリブ出来る人はただただカッコいい。

団体のバンドで数年濃密に過ごしてきたからこそ、演奏技術の上達と自己表現というものが密接に関わっている、と私はよく思う。

私は正解がないと不安だ。
だから自由に演奏していいよと言われても戸惑う。
・伴奏に対して音がとんちんかんすぎてダサい。
・どんなリズムで演奏すればいいのか分からないから同じ様な音とリズムしか演奏出来ない。
・アドリブを分かる人・出来る人に引け目を感じて機会を譲ってしまう、遠慮しちゃう。
こういうことが起こった。

そういったときに私が解決した方法は。
模範演奏をパクる(耳コピする)。
もちろん技術の差はあれどプロと同じことをやっているから楽しい。

しかしいずれ気づく。
オリジナリティなくね…?と。

私のオリジナリティがないというコンプレックスはここからも由来する。
人の真似をするのが悪いとか耳コピするだけましとかそういうことではない。
人の真似以上のことが、自分で考えて表現することが私には出来なかった。
だから自分自身の価値が不安定に思えたし自信もつかない。

アドリブをしない=自己表現しないと同義だと思った。
そこまでは理解だけしていた。

それでも
アドリブをしてダサいフレーズを演奏するダサい自分を知られたくなかった。恥ずかしかった。
アドリブを出来る人と比較されたくなかった。出来ないと思われたくなかった。
どちらも自分のプライドを守るため。自己表現しない理由と表裏一体だと思う。

どんなことにも
挑戦をして、失敗して、改善して…
というのが一番成長するのが早い。はず。
でも自分のプライドを守るために踏み出せない。
今までそうしてきたことを急に変更することには気力がいる。難しい。

はっきり言って
アドリブに関しては全然分からない。
練習方法も分からない。少し教わったくらいじゃ全く。
でも、私には場数が足りなすぎたことは分かる。
場数を踏めば少しは進むかな?
今時一人でも練習はできる。

ただ明確に分かるのは
音痴でも下手でもアドリブを演奏してる人は
カッコいいってことだ。